シンデレラグレイと弱者について
努力には限界があるので、或いは、先天的な素質の差があるので努力しません。
というのは暴論である。
努力した結果、結果がでないのであれば、それは先天的な素質の差であり、そうではない部分を伸ばしたり、リカバリーをしていく方法を考えるべきであるが、
そもそも努力もやるべき事もしない段階からやらない選択をするのは単純に怠惰である。
また、叩き上げは弱者に冷たく、先天的な富裕層は弱者に優しいという話もあるが、
それは必ずしも努力すればなんとかなるはずだとか、努力が足りないからそうなっているのだという事を
所謂、叩き上げ側が言っているのではないと私は思う。
単純に、やるべき事をやり、結果はどうあれ最大限努力をしてみるという行為の副産物は必ずある筈だから、まずはやってごらんということかもしれないし、
努力しないから弱者のままなのだと嘲笑うような結果のみを指しているとは限らないので、
そう言った解釈は随分とひねくれているなあと思う。
努力できないくらい疲れているならば休めば良いのだし、元気になったら何か始めれば良いのではないか。
できないのは努力が足りないから、というのはそれまでの過程を見たり推察したり出来ないのであれば控えるべき表現である。
努力でなんともならない事も随分とあるのだし。
ただ、それを怠惰の理由にするのは如何なものかと思うだけ。
努力を強いられると感じたり、
弱いものが弱いままでいるのがなぜ悪いと開き直ってしまうのは、
非常に遠い話になるかもしれないが、結果ばかりを見て長期的に物事を見ることができない視野の狭さにあると思う。
副産物は必ずある筈だし、時間だけが無駄になるなんて事はなかなか無いと思う。
能力に差はあれども努力をする機会は平等にあるべきであるし、うまくいかない理由は努力不足にあるかもしれないのに、能力のせいにしていくのもなんだかなあと思う。
まあ、頑張れないときは休んだほうが良いし、頑張れない人間に限って休めないと思ってしまうからなんともはやなのだけれども…。
弱者に優しさと救済を!というのは弱者の本来の能力を馬鹿にしていたり、個人の力を信用していないようにも私は感じる。
ねぇ、どうしてそうやってアタシの事を馬鹿にして、優しさとか慰めとか与えようとするの?
その度々に惨めな思いが湧いてきて、どうしようもない気持ちになるってわかってないの?は米津玄師だが。
私はこうした𠮟咤激励に対して腹を立てたことがないからわからないだけなのかもしれない、とも思う。
自分で考えることさえ出来れば、道理にそぐわないような努力論は一蹴できるし、一蹴できないようなら三十六計逃げるに如かずとしてきたからかもしれない。
何にせよ、自分で考え判断することが大切だよね〜ということである。