広告屋という仕事
先日片手間で起業をしたという話を聞いた。ツイッターを使った広告屋でそこそこ儲けているのかと思いきや、思った以上に流行ってしまい大変困っているとの事。忙しすぎて寝る暇が無いとか。
まあ、良かったね??なのだろうが。
反応に困るな〜と思ったのだが、我々は思った以上に情報に突き動かされているし、価値を感じているのだなとも思った。
さて、これは似非コンサル界隈とはまた違う分野の話なのであるが、この広告の打ち方がこれまた微妙だなあ〜と話を聞いていて私は感じた。
ようはいくつかのキーワードを入れてバズらせるだけの話なのだが、それを架空の人物、いや実際には中に人がいるので架空とも言い切れないのだが、そう言ったアカウントでやるのだ。
勿論リテラシーの高い現代っ子達はオフラインで合わない限り、そう言ったリスクがある事なんて承知の上なんだろうけれども。
私達はアカウントの後ろにどうしたって自分の想像した個人を思い浮かべ、勝手に信用したり信頼してしまう。
それらは本当は自分の中で判断している事なのだけれども、それとは気づかずに過ごしている事が多いと思う。
私もこうしてほぼ匿名でブログやSNSを使っているが、私自身と、誰かが想像する私自身とは乖離が生じている事もあるのだろうなと思っている。
このような広告屋のいる世の中では、
誰かが言っていたから真実であるとか、
教祖様が仰っていたかれ素晴らしいとか、
バズっていたから本当だとか、
そんな判断の仕方はいよいよもって危ないというか、良いカモでしかないと思う。
情報そのものを上手く使い、巧く操り、それを商売にしている人間がいる以上いよいよ持ってして自分自身で何かを判断していく事が大切だろうなと考えている次第。
例え間違っても失敗しても上手く行かなくても、ちゃんと自分で考えて自分で判断して自分で行ったのならば、
一時的なショックや痛みは強いものの、時間が経ってからみれば素晴らしい学びや経験であったと言えるだろう。
誰かのせいにして生きていくほうが、内在する怒りを溜め込むだけのようにも私は感じている。
自主的に生きて来なかった人間こそ、内側にどうしようもない怒りを抱えている気がする。
まずは自分で考え、自分で判断する努力を。
怒りを手放す努力を。
まあ、それが難しいなんて重々承知の上なのだけれども。