有心論と異なる意見

設定変更教の中の方が異なる意見を持つ方を誹謗中傷している様を見た。

 

教祖様の質がそのまま信者様の質である。

 

さぞかし自分たちがしていることに自信が無いのだろう。

異なる意見を持つ方に対してなぜ個人攻撃に走るのか。

怒りを抱える理由は何か。

 

それは単純に自分で自分を、自分の判断を、している事を、信じきれていないからだろうと思う。

 

そんな信じられない教祖様や教えは捨ててしまいなさいな。

 

人としての尊厳を自らの手で貶める必要は無いのだから。

 

正しさにしがみつくあまりに、人として品の無い振る舞いになっているし、狭量になっていると思う。

 

単純に言えば、下品。貧困な発想と、立ち振る舞い。ラグジュアリーの意味を履き違えているとしか思えない。

 

異なる意見を持つ方にどう対応するかで、人としての成熟度や品格がわかる。

 

なんで信じきれずに、否定されてしまえば怒りに変わるような浅はかなものに縛られているのか。

 

RADWIMPSの名曲に有心論というのがある。

神様は信じられないが、自分の心なら信じられる』ということから、『有心論』とされている。

 

(彼女のマキさんにちなんだアナグラム的なアレコレは置いておく。)

 

自分の心も信用できない人間がどうして他人や神を信じることが出来るのか。

 

教祖様も神様もあなたの人生の責任はとってくれやしない。

 

何故自分ではなく教祖様を盲目的に愛するのかさっぱりわからない。

 

少なくとも教祖様のために怒ることは馬鹿げているし、自分の価値を下げているだけだと気づいた方がいい。

 

自分の心は自分のためにあるのであって教祖様の為にあるわけでは無いのだ。

 

自分の価値観は自分で育てていくものであって教祖様のコピーになる為にあるわけではないのだ。

 

増して教祖様の為に誰かを傷つけるなんて、間違っている。

 

教祖様の為に、大切な人々を悲しませたり、苦しめるのは、間違っている。

 

そんな間違いに気づく事が怖いから、でも薄々は気づいているから。

 

だから、他人を攻撃しているんだろう。

 

間違いに気づいて自分が傷つきたくないから。

 

間違いに気がついたら軌道修正しなければならないから。

 

落ちていく方が楽だから。

 

可哀想に。

教祖様はあなたの弱ささえも食い物にするし、

あなたのお金は一銭も帰ってこないだろう。そんな現実を受け入れる事なんて出来ないだろうけれども。

 

残念ながらお金はツールだし、他人は自分ではないので、あなたはツケを返さなければならない。

それが怖くて他人に八つ当たりしているのだろうけれども。

 

それでもあなたの神様は、あなたの心は死ぬまでチャンスを与えてくれるだろう。

もう一度道理をわきまえて、世のため人のために生きられるように、学びの機会を繰り返し繰り返し。

 

いやしかし、有心論は名曲だなあ。

 

もう13年前の曲か〜。ちょっと引く。

 

「誰も端っこで泣かないようにと 君は地球を丸くしたんだろう?

 

だから君に会えないと僕は 隅っこを探して泣く 泣く

 

誰も命 無駄にしないようにと 君は命に終わり作ったよ

 

だから君がいないその時は 僕は息を止め 待つ」

 

さて、明日を呪う人間不信者はいったい誰なんだろう?