瞼を閉じれば年末か
忙殺される日々を過ごしていてsnsも碌に開けず。
外はすっかり秋模様で天高く馬肥ゆる秋、おいおい蒙古が攻めてくるんかい待って下さい、勘弁勘弁な感じである。
休みの日はベッドと結婚式を挙げるのが精一杯。溜まった仕事に試験勉強、そこに何故か突入してくるガチスピ。
これでまだ恐らく序の口というのがまた、ねぇ。瞼を開けてみれば年始なんじゃないかしら。
序の口と言えば先日大相撲秋場所千秋楽に足を運んだ。横綱不在ではあるものの、三役土俵入りも見られてまあ満足である。いや、マジで溜まった案件なんとかしないといけないのだが、ストレスも解消しないとねぇ。
秋だね、秋だよ、そうして似非スピリチュアル界隈には飽きが来ている様子だねぇ。
金は巡回するものであるが、それは大局的視点の話である。
ちょっと驚いたのは詳しく調べていないのだけれども子宮教教祖様が熱心な信者をお叱りになったという話。
ああやはり追い詰められているなというのが感想である。
1人の信者をスケープゴードに自分の理論の正しさを証明しようというのか。
或いは誰かを晒し上げることによって内部の結束を固めようというのか。
いずれにせよ末期の集団がやる悪手であろう。
妊婦であると聞き及び気の毒だなあと思わずにはいられない。
自分のなした事が返ってくるだけの世界なのだけれども、指を指してそれ見たことかと笑えるような救いのある状況にも見えず心が痛むばかりである。
それは、ラグジュアリー読書会の某教祖様に心酔している認定講師信者様にも言える事で、お金がないのにないと認識できない認知の歪みに人生がじわじわと侵食されている様子は正直、笑えない。普通に怖い。
笑いの為にはある種の救いが必要だと私は考えているのであるが、
未だ持って界隈の信者様方に救いがあるとは思えず
信者様方を指し示し、それみろ阿呆がここにいるぞ、笑える心持ちにはどうしたってなれない。
とうに蜘蛛の糸は切れているのだ。
絶望の淵に立つカンダタを笑えない。
いいじゃないか。幻想でも幸せならば。
多分もうじき彼女達を見る事もでき無くなるのだろうから。
キラキラハッピー教祖様のように。
人の不幸を面白がるようなセンスを持ち合わせていないのは、いいのか悪いのか正直私にはわからない。
共感性が高く非常に楽しそうに嬉々として語り合う善良な人々を眺めながら、吊るし上げられた間抜けな人々を思う。
一生懸命に生きているだけなのにね。
お気の毒様。
個人攻撃はどうかと思うけれどもそもそも自分で情報を出しているんだしなあ〜と。
遠くから眺めるだけ。
人々は新たな生贄をさがして今日も右往左往する。新たな生贄をみつければアリの如く群がってくるだろう。
願わくばカンダタの僅かな善行がもう一度お釈迦様のまなこにとまりますように。